五畿七道(ごきしちどう)とは、日本の古代国家が全国を統治するために定めた地域区分です。
学校の日本史で言葉だけ覚えたものの、「具体的にどこを指すのか」「なぜ必要だったのか」まで理解している人は多くありません。
しかし五畿七道は、現在の地方名や交通網、さらには日本人の地域意識にも深く影響を与えています。
本記事では、五畿七道とは何かを起点に、成立した歴史的背景、作られた理由、現代への影響、そして覚え方までを詳しく解説します。
五畿七道とは何か
五畿七道とは、7世紀後半から律令制度のもとで整備された、日本全国を区分する行政制度です。
「五畿」と「七道」という二つの枠組みで構成され、都を中心に地方を管理する仕組みでした。
この制度は、単なる地理的な分類ではなく、政治・軍事・税制・交通を一体化した国家運営の基盤として機能していました。
五畿七道の「五畿」とは?
五畿とは、都(平城京・平安京)を中心とした、特に重要とされた地域です。
現在でいう近畿地方の中核部分にあたります。
- 山城国(京都府南部)
- 大和国(奈良県)
- 河内国(大阪府東部)
- 和泉国(大阪府南部)
- 摂津国(大阪府北部・兵庫県南東部)
これらの地域は、天皇や貴族が居住し、政治・文化の中心として発展しました。
五畿は他の地域よりも直接的に中央政府の支配を受け、税制や軍事面でも特別な位置づけにありました。
五畿七道の「七道」とは?
七道は、都から放射状に延びる主要道路(官道)を基準に定められた地方区分です。
それぞれの「道」は、交通路であると同時に行政単位でもありました。
- 東海道
- 東山道
- 北陸道
- 山陰道
- 山陽道
- 南海道
- 西海道
これらの道に沿って国(旧国)が配置され、役人の派遣や物資の輸送、情報伝達が行われていました。
現代の高速道路や鉄道網のルートにも、七道の考え方が色濃く残っています。
なぜ五畿七道は作られたのか
五畿七道が生まれた背景には、古代日本が「中央集権国家」を目指していた事情があります。
当時の日本は、中国(唐)の律令制度を参考にしながら、天皇を中心とした統治体制を整えていました。
そのためには、全国を把握し、均一なルールで管理できる仕組みが必要だったのです。
- 税の徴収を効率化するため
- 兵役や防衛体制を整えるため
- 地方豪族の力を抑えるため
- 中央の命令を迅速に伝えるため
五畿七道は、こうした国家運営上の課題を解決するために作られた、合理的な制度でした。
五畿七道が果たした歴史的役割
五畿七道は、単に地図上で線を引いた制度ではありません。
政治・軍事・経済・文化のすべてに影響を与えました。
役人は七道を通じて地方へ派遣され、税として集められた米や特産物も同じ道を通って都へ運ばれました。
また、有事の際には軍事行動のルートとしても利用されました。
つまり五畿七道は、古代日本における「インフラ兼行政区分」だったのです。
五畿七道は現代にどう影響しているのか
五畿七道という制度そのものは廃止されていますが、その影響は今も色濃く残っています。
- 「山陽地方」「山陰地方」などの呼称
- 「近畿」「関西」といった地域意識
- 主要幹線道路・鉄道路線の配置
観光案内や天気予報、ニュースで使われる地方名の多くは、五畿七道に由来しています。
五畿七道の覚え方・簡単に整理するコツ!
五畿七道は名前が多く、覚えにくい印象がありますが、考え方を整理すれば覚えやすくなります。
まず五畿は「都の周辺=今の近畿中心部」と覚えます。
七道は、東から西へ順番に並べるのがポイントです。
東海道 → 東山道 → 北陸道 → 山陰道 → 山陽道 → 南海道 → 西海道
という流れで覚えると混乱しにくくなります。
まとめ
五畿七道とは、日本の古代国家が生み出した統治システムであり、
現在の地方名や交通網の原型となった重要な制度です。
地名や地域区分の由来を知ることで、日本史は暗記科目ではなく、
現代につながるストーリーとして理解できるようになります。
日本の地域や旅行をより深く楽しむために、五畿七道という視点をぜひ覚えておきましょう。
当ブログでは、旅行にまつわる疑問などを分かりやすくご紹介しています。ぜひご覧ください。



