福岡県の地名を見ていると、「筑前」「筑後」という言葉をよく目にします。
筑前市、筑紫野市、筑後市、筑後川など、現在でも広く使われていますが、
「なぜ“前”と“後”に分かれているの?」「位置の前後なの?」と疑問に思ったことはないでしょうか。
今回は、「筑前」「筑後」は何を基準に分かれたのかや、どこにあるのかについて、地名の由来や歴史的背景をわかりやすく解説します。
筑前・筑後は旧国名が由来

一級河川「筑後川」
筑前・筑後という名称は、現在の行政区分ではなく、
律令制時代に使われていた旧国名に由来しています。
古代日本では、全国を60以上の「国」に分けて統治しており、
現在の福岡県一帯は、もともと筑紫国(つくしのくに)と呼ばれていました。
しかし、筑紫国は領域が広かったため、7世紀後半ごろに
- 筑前国(ちくぜんのくに)
- 筑後国(ちくごのくに)
の2つに分割されました。これが現在の「筑前」「筑後」のルーツです。
「前」と「後」を分けた基準は“都からの距離”
では、筑前と筑後は何を基準に「前」「後」と名付けられたのでしょうか。
その答えは、当時の都(奈良・京都)からの距離にあります。
律令制の時代、日本の地名や国名は「都から近い方が上・前、遠い方が下・後」
という考え方で名付けられることが一般的でした。
この基準に従い、
- 都に比較的近い地域 → 筑前国
- 都からより遠い地域 → 筑後国
と区分されたのです。
地図上で見ると、筑前は現在の福岡市周辺から北部に、
筑後は南部一帯に広がっていることがわかります。
現在の福岡県での筑前・筑後の位置関係
現在の福岡県を旧国名ベースで見ると、おおよそ以下のように分けられます。
- 筑前:福岡市、糸島市、筑紫野市、宗像市など
- 筑後:久留米市、筑後市、柳川市、大川市など
なお、福岡県東部には「豊前国」に由来する地域もあり、
福岡県は大きく「筑前・筑後・豊前」という3つの文化圏を持つ県でもあります。
筑前・筑後という呼び名が今も残る理由
明治時代の廃藩置県によって、筑前国・筑後国という行政区分は消滅しましたが、
地名としての「筑前」「筑後」は現在も生き続けています。
これは、地域の文化や歴史、生活圏が旧国単位で形成されていたためです。
例えば、言葉のイントネーションや祭り、食文化などに違いが見られ、
今でも「筑前エリア」「筑後エリア」といった表現が自然に使われています。

ちなみに、筑後川の由来については、下記のサイトで紹介されているので、ぜひ気になる方は見てみてください!
まとめ
「筑前」「筑後」は、単なる地理的な前後関係ではなく、
- 筑紫国を分割して生まれた旧国名であること
- 都からの距離を基準に「前」「後」が決められたこと
- 現在の福岡県の文化圏にも影響を与えていること
といった、歴史的背景を持つ地名です。
地名の由来を知ることで、普段何気なく使っている地域名にも、
長い歴史と人々の営みが詰まっていることが見えてきますね。
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