信州そばや信州みそで有名な信州について、現在の何県にあたるかや由来について紹介します。
◼︎信州はどこにある?
信州は現在の長野県になります。
長野県は2,007,682人(令和5年7月時点)。本州のほぼ中央に位置していて、
山地の総面積が県の84%を占め、周囲には標高3000メートルクラスの高い山
が連なっていることから「日本の屋根」と呼ばれています。
「日本の屋根」についてご紹介した記事も投稿していますので、ぜひご覧ください。
また、自然豊かな環境でありながら首都圏やその他都市にアクセスしやすいなどの理由から
移住したい都道府県ランキングで18年連続1位になっています。
◼︎信州の由来
信州という呼び名は信濃(しなの)国が由来となっています。
昔、日本では「国の漢字1文字+洲」という中国の呼び方がよく用いられていた時代があり、
信濃国も1文字目の「信」+「洲」で「信州」となりました。
信州のもとである「信濃国」という国名の由来は諸説ありますが、
信濃国の地には科の木(しなのき)が多く自生していたことから
「信濃(しなの)」と呼ばれるようになった説や、
土地が山に囲まれた形状であることから、
くぼんだ場所を意味する「科」を用いた「科野(しなの)」説。
日本神話に登場する神様「級長津彦命(しなつひこのみこと)」を由来とする説などがあります。
なぜ今でも「信州」と呼ばれているの?
古代、律令制時代の日本は60以上の国々からなっており、信濃国もその1つでした。
その後、1871年の廃藩置県で「長野県」という県名が誕生しましたが、
当初、長野県は信濃国のうち東北信地域だけであり、
中南信地域は筑摩県といつ別の県となっていました。
5年後の1876年に筑摩県が長野県に合併され、
信濃国の全域が長野県となり今のかたちになった経緯があります。
そのため、長野県内人にとって「長野」=「東北信地域」をイメージする人が多く、
長野県と筑摩県に分かれる前から、現在の長野県全体(=信濃国)を表す呼び方として
使用されてきた「信州」という呼び方が使用されていると考えられます。
さいごに
当ブログでは、旅行にまつわる疑問などを分かりやすくご紹介しています。
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